9条発案は幣原(しではら)元首相

 先の大戦での死者は、日本人は軍人が230万人、一般人が80万人です。また中国などアジア各地で2000万人を超える人々が犠牲になっています。戦後の日本は、その深い反省に立ち大日本帝国憲法を改正し、その体制を国民主権・民主主義へと移行させました。
 私たち国民は、基本的人権の保障を宣言し、その人権を守るため権力分立を取り入れた統治機構を定めた憲法・立憲主義の立場をいま一度確認しすべきだと考えます。
「押し付け憲法論」は間違い

 安倍首相は、衆参で改憲勢力が三分の二を超えたことで悲願の憲法改正に向けて動き出しています。しかし、安倍首相や自民党が改憲のよりどころとする「押し付け憲法論」を否定する新たな資料が、2016年1月堀尾輝久東大名誉教授によって国会図書館憲政資料室で見つかりました。平和憲法の根幹をなす9条を発案したのはGHQ(連合国軍最高司令部)ではなく、幣原(しではら)喜重郎元首相だと証言するマッカーサーの書簡です。安倍首相をはじめ改憲勢力は、今の憲法は戦勝国の押し付けとの主張を繰り返し、極めて短期間にGHQによって作られたと強調しています。憲法制定過程を正確に議論すれば、9条改憲派は根拠を失いかねない貴重な資料です。
 幣原がそれを公言しなかった理由についても、「あの時代、象徴天皇も戦力放棄も驚天動地の一大事。まともに提案すれば国賊視されて大騒ぎとなり、閣内もまとまらなかったはず。実現のためには、マッカーサーのゴリ押しを装うしかなかった」と堀尾氏は推測しています。(日刊ゲンダイ16年10月7日)堀尾先生は、これまでも雑誌に幣原発案説を書いてきましたが、今回は補強する原文を見つけ出したので、状況が変わるかと思ったそうです。しかし、どういうわけか朝日新聞(16年9月17日)や東京新聞など一部を除いて大手メディアは全然反応しませんでした。
 それでも、今年5月9日に、BS朝日で放送された「昭和偉人伝 生誕100年 田中角栄」では、憲法9条を提案したのは、幣原喜重郎元首相であると明言していました。
 既に明らかにされた自民党の憲法改正草案(2012年4月決定)は、天皇を元首とし、自衛隊を国防軍にかえ、基本的人権を制限できるように「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」にすりかえるなど、戦後日本社会の規範・枠組みを根本から変える内容となっています。憲法は政府を縛るのではなく、国民を拘束するものだという考え方は主権在民という立憲主義の原則を根本的に否定し戦前の明治憲法に回帰するものです。自民党の憲法草案は、「国家あっての国民」という視点に立っており、現行憲法の理念「国民のための国家」を根本から覆すもので、大日本帝国憲法よりも復古的で議論に値しないと言う声もあるほどです。
 保守本流は、保守傍流と異なり憲法を尊重する護憲の立場です。宮沢喜一元首相は2007年6月に亡くなりましたが、「こんなにうまく運用されている憲法をどうして変えなければならないのか、理解できない」(「この人たちの日本国憲法」佐高信、光文社、2013年)と語っていました。私も、日本国憲法を尊重し、今はまだ変える必要がないと考えます。憲法がわが国の平和と繁栄に寄与してきたことを高く評価するからです。そして、自衛隊の明記や緊急事態対応、教育の無償化・充実強化や参議院の合区解消等は、既存の法律または新法制定で十分対応できる事柄ばかりだからです。
 私は、改正がどうしても必要になった場合変えることは否定しませんが、今はむしろ現行憲法の国民主権、平和主義・国際協調主義、基本的人権の尊重等の理念・原理を政治家を含む国民にもっと普及させ理解して頂くことが必要と考えます。民族が負った傷は、三世代百年は消えないと言われます。夏目漱石の義理の孫で作家の半藤一利氏も、憲法は100年変える必要がないとも発言しています。その趣旨は、100年たてば憲法の理念考え方が国民に定着するからです。まだ70年ほどで完全に定着しているとは言えず、だから容易に無視されたり、破壊されてしまうのです(「憲法を百年いかす」半藤 一利、保阪正康 筑摩書房 2017年)と。